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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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八幡太郎義家勿来の関の由来CONCEPT

八幡太郎義家勿来の関図屋外用いわき絵のぼり辰昇作

八幡太郎義家とは?文武両道への願いを描く


1.源義家の生い立ち

八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)(1039-1106)は通称の呼び名で、本名は源義家といいます。 鎮守府将軍、源頼義の長男として平安時代に生まれました。 ここでは「八幡太郎義家勿来の関」通過の物語を紹介します。

2.初期の戦功と昇進

義家は、父とともに前九年の役で戦い、永承6年(1051年)に陸奥の豪族安部貞任あべのさだとうを討ち、その功により従五位下出羽守に任命されました。

3.奥州清原氏の紛争への介入

永保3年(1083年)、陸奥守兼鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんになった義家は奥州清原氏の家督相続争いを治めるために介入し、これを平定しました。 ただし、この戦いは私闘とみなされ、義家は朝廷から功賞を得られませんでした。 そこで私財を投じて部下たちをねぎらったと言われています。

4.勿来の関での有名な歌詠み

奥州に向かう際、勿来の関(現 福島県いわき市)で義家が詠んだ歌
「吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」
は、千載集にも載っている有名な和歌です。

5.八幡太郎義家勿来の関図の描写

八幡太郎義家は文武両道でたくましい子供に育ってほしいとの願いを込めて節句幟に描かれてきました。 いわき絵のぼりの八幡太郎は、この勿来の関を通過する際に歌を詠んだ場面が描かれています。

いわき絵のぼり吉田


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