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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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宇治川先陣争いの由来|いわき絵のぼり吉田CONCEPT

宇治川先陣争いの図屋外用いわき絵のぼり辰昇作

宇治川の先陣争い〜競争勝利祈願の図柄

1.宇治川の先陣争いの背景

宇治川の先陣争いは、平安時代末期の有名な逸話のひとつです。 それは、元暦元年(1184年)、後白河法皇から木曽義仲(きそよしなか)追討を命じられた源頼朝(みなもとのよりとも)が、弟の源義経(みなもとのよしつね)軍を先発隊として出兵さた出来事です。

2.宇治川での困難な状況

義経軍が宇治川に到着した際、宇治橋は義仲軍によって壊され、渡るのが困難でした。 また、川を渡ろうとしても、対岸には義仲軍が待ち構え、矢を放ってくる状況でした。

3.先陣争いの参加者

この状況で、「我が先陣を切って川を渡る」と名乗り出たのは、梶原景季(かじわらかげすえ)佐々木高綱(ささきたかつな)の二人でした。
佐々木は白馬に、梶原は黒馬に乗っていました。
実は以前この二人には白い名馬生月いけづきを巡って争った過去があります。 白馬の生月は佐々木に与えられ、梶原は黒馬磨墨するすみを手に入れていました。

4.競争心と宇治川渡河

佐々木と梶原は宇治川に飛び込み、対岸へ渡る決意を持っていました。
最初は梶原が先行していましたが、その際、佐々木は梶原に声をかけ、「梶原どの、この大事に馬の腹帯が緩んでいるぞ」と親切を装い忠告しました。
それを聞いた梶原が腹帯を確認している隙をみて、佐々木は宇治川を渡り切り、敵軍へ先陣を果たしました。

5.絵柄の意味

いわき絵のぼりの「宇治川先陣争い」は、佐々木が梶原を追い抜いた場面を描いています。 そのため、この図柄には、競争に打ち勝つという意味や、社会の厳しさを教える教訓話の側面があり、長い間人々に親しまれています。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇

→Wikipedia宇治川の戦いのページを見る
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宇治川先陣争いの他、以下に各図柄由来もご紹介

以下、いわき絵のぼり図柄の由来一覧です。
古人が様々な物語に託した男児成長祈願。
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説話、神話

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武者絵

動物

20. 龍虎

25. 若駒

26. 鶴亀

27.

28.

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端午節句の空を彩る勇壮な絵のぼりは、人生の門出にふさわしい旗印です。

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[格調高く身近な室内用]
お子様の成長を見守る守護神として。取り扱いが簡単で若い方に好評です。
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