本ページでは、当工房の「いわき絵のぼり」系譜とその文化的背景について、 初代・近藤辰治、二代目・宇佐美しずえの略歴と作品、 そして「いわき絵のぼり」という呼称の由来をご紹介します。
辰治が生涯をかけて重ねてきた筆の跡は、娘・しずえへと確かに受け継がれました。
高齢になっても筆を手放さなかった辰治との突然の別れ。
一年余を経て、しずえに思いがけない舞台が訪れます——NHKの全国中継です。
初代から二代、そして孫にあたる当代・辰昇(しんしょう)へ。
「いわき絵のぼり」は、一人の職人の技と祈りを、家族の手でつないできた物語です。
—— 辰治は生涯現役の絵師として絵のぼりを制作しました。
地域の「いわき絵のぼり組合」とは一歩距離を置く名人肌で、力を出し切った渾身作に挑む一方、生活を支えるために卸先の店名を入れた品も手がけています
。
—— しずえは、実父・辰治の志を継いだ二代目の絵師です。
経済的な事情で進学の道は限られましたが、幼いころから絵を好み、父の仕事を手伝いながら腕を磨きました。
嫁ぎ先でも制作を絶やさず、後年「いわき市無形文化財保持者」に認定。
おおらかで温かみのある画風は、女流絵師ならではの魅力を放ちます。
当代・辰昇(しんしょう)にとっては祖母にあたり、幼少期から工房に親しみ、制作の現場で多くを学びました。
—— 高齢になっても筆を手放さなかった、父・辰治との突然の別れ。
それから一年余を経て、しずえに思いがけない舞台が訪れます。
昭和38年、NHK全国中継に宇佐美しずえが出演することになったのです。
この日、地元の“小旗”は「いわき絵のぼり」という名で日本に紹介されます。
—— 地元では、節句ののぼりを古くから「小旗(こばた)」と呼んできました。
暮らしに根づいた呼称として、季節の行事とともに親しまれてきました。
—— 番組司会の野村泰治アナウンサーが原稿で用いた呼称が「磐城(いわき)絵のぼり」で、これが現在の名称へと受け継がれていきます。
昭和38年(1963年)2月27日、全国放送での出来事でした。
—— 放送後、地元紙や商店・工房でも「磐城(いわき)絵のぼり」の呼称が用いられ、地域全体で共有される「名前の力」が生まれました。
市町村合併を背景に呼び名は「いわき絵のぼり」へ自然に定着し、のちの福島県指定伝統的工芸品(平成9年)にもつながっていきます。
説明動画(約38秒)
—— 本サイトの制作者でもある当代絵師・辰昇(しんしょう)は、宇佐美しずえの孫にあたります。
工房をご見学いただいた方の投稿より(@irodori_koinbr 様):
「絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。生で見なきゃもったいないです!」