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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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〒971-8182 いわき市泉町滝尻字根ノ町73

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当家の初代辰治(たつじ)、先代しずえについて

初代の作品

鬼と鍾馗 近藤辰治 いわき絵のぼり
神功皇后 近藤辰治 いわき絵のぼり
神武天皇 近藤辰治 いわき絵のぼり
初代辰治の屋外用絵のぼり。
絵のぼり吉田所蔵(非売品)。

初代 近藤辰治(たつじ)略歴

生没年:明治13-昭和36年(1880-1961)
当代との関係:母方曽祖父
旧工房:いわき市平大舘
作例:絵のぼり、矢羽根(やばね)(上棟式用板絵)
師匠:佐藤周吉氏、古川銀蔵氏
*制作系譜は江戸期にさかのぼるが、詳細不明。

辰治は生涯現役で絵のぼりを制作
地域の絵のぼり組合とは一定の距離を置く名人肌。
自らの力を発揮した渾身の作品を手掛けることがあったようです。
そのいっぽうで生活のため卸先の店名が入る廉価品も手がけました。

絵の出来栄えを追及

鍾馗 近藤辰治 いわき絵のぼり

熊に金太郎 近藤辰治 いわき絵のぼり

初代辰治の座敷のぼり。
個人蔵。

初代のエピソード

繁忙期は食卓にまで筆と硯をもちこみ、草稿を描いた。

工房内は下絵と資料が山積みだったが、昭和の火災で焼失。

戦時中は絵のぼり用木綿が不足。
代替品の人絹(じんけん)(レーヨン)は絵具との相性が悪い。
そこで辰治は濃厚だった彩色を日本画調の薄塗りに変え、人絹でも見事な作品を残した。

絵のぼり名品探訪のため、子供を連れ各地を回った。
その子供が、のちに跡を継ぐ宇佐美しずえ。

近藤辰治の落款印
初代辰治の印。
近藤辰治の絵のぼり下絵
初代辰治の絵のぼり下絵。

先代(二代目)宇佐美しずえ

 宇佐美しずえ いわき絵のぼり制作中の写真
先代しずえ制作中の写真。

先代 宇佐美しずえ略歴 いわき市無形文化財保持者

生没年:大正9-平成14年(1920-2002)
当代との関係:母方祖母
旧工房:いわき市平馬目
作例:絵のぼり、額絵、掛軸
師匠:近藤辰治(実父)
いわき市無形文化財保持者

宇佐美しずえは実父である初代近藤辰治の跡を継いだ、二代目
しずえは経済的理由から進学できず苦労したそうですが、自身も生来絵を好みました。
幼少時より父の仕事を手伝い、嫁ぎ先でも絵のぼりを制作。
後年「いわき市無形文化財保持者」になりました。
おおらかな画風は、女流絵師ならではのもの。
当代辰昇(しんしょう)にとっては母方の祖母にあたり、幼いころから工房をよく訪れていました。

先代(二代目)の作品

鬼と鍾馗 宇佐美しずえ いわき絵のぼり
秀吉と清正 宇佐美しずえ いわき絵のぼり
鍾馗 宇佐美しずえ いわき絵のぼり
恵比寿大黒 宇佐美しずえ いわき絵のぼり
二代目しずえの作品。絵のぼり吉田所蔵(非売品)。

名称「いわき絵のぼり」のきっかけ

昭和38年、NHKの全国放送が現在の呼称が広まるきっかけとなりました。
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 クイズ番組「それは私です」昭和38年NHK平放送会館落成記念
クイズ番組「それは私です」昭和38年NHK平放送会館落成記念。

昭和38年、NHKの人気クイズ番組「それは私です」が、いわきから全国へ生中継。
NHK平放送会館(現いわき支局)落成記念として放映されました。
郷土の工芸家として、宇佐美しずえが番組に出演。
父辰治が亡くなってから約2年。
当時の全国放送は、現在の感覚よりも大きな出来事だったことでしょう。

 「いわき絵のぼり」の名称が、はじめて全国へ。
磐城(いわき)絵のぼり」の名称が、はじめて全国へ。

それまで「いわき絵のぼり」の名称は無く、当地では単に「小旗(こばた)」と呼ばれていました。
全国的な端午の風習だった絵のぼりの記憶は人々から薄れ、当時すでに希少なものというニュアンス。
町を全国へ紹介するこの機に、より良い名前をつける必要にせまられました。
そこでNHKアナウンサー野村泰治(のむらたいじ)さんが、分かりやすい名称で紹介。
磐城(いわき)絵のぼり」。
これがきっかけとなり、現在まで使われる事になったそうです。

 宇佐美しずえ、NHKで絵のぼり制作実演
番組内で制作実演。

下記は宇佐美しずえが紹介される際のナレーション(原文ママ)。
この文章も、NHKアナウンサー野村泰治さんの校正。
大切な記念として、しずえがメモに残しました。

私の経歴書(番組ナレーション)
桃の節句がすぎるとやがてしょうぶの節句、鯉のぼりが青空にひるがえるのは本当に気持ちのよいものですが、この平地方を中心とした地域では、昔から磐城絵のぼりを立てています。
実家の父が永年この磐城絵のぼりを作って来ましたが、小さい頃から絵が好きだった私は、父がなくなる前から本格的に手ほどきをうけ今ではそのあとをついで、この伝統ののぼりを作っています。
しょうき様や金太郎さんをはじめ昔噺の武者絵が色どりを美しく、風にはためく風景も、今では平の近在だけにしか見られなくなったことや、あとをつぐ人が居ないのはさびしい限りですが男の子のしあわせを祈った昔の人の気持ちをかみしめ乍らいつまでも書きつづけていくつもりです。
磐城絵のぼりつくりの宇佐美静枝 それは私です。

孫である当代 辰昇(しんしょう)

このサイトの制作者でもある当代絵師辰昇(しんしょう)は、宇佐美しずえの孫にあたります。

-辰昇(しんしょう)経歴
絵師 辰昇プロフィールはこちら
絵師、辰昇(しんしょう)プロフィールはこちら。

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