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手描き武者のぼり|いわき絵のぼり吉田 絵師・辰昇

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いわき絵のぼり吉田の初代辰治(たつじ)、先代しずえについて

本ページでは、当工房の「いわき絵のぼり」系譜とその文化的背景について、 初代・近藤辰治二代目・宇佐美しずえの略歴と作品、 そして「いわき絵のぼり」という呼称の由来をご紹介します。

辰治が生涯をかけて重ねてきた筆の跡は、娘・しずえへと確かに受け継がれました。

高齢になっても筆を手放さなかった辰治との突然の別れ。
一年余を経て、しずえに思いがけない舞台が訪れます——NHKの全国中継です。

初代から二代、そして孫にあたる当代・辰昇(しんしょう)へ。
「いわき絵のぼり」は、一人の職人の技と祈りを、家族の手でつないできた物語です。

初代の作品

初代絵師・近藤辰治 作 屋外用いわき絵のぼり(非売品)—いわき絵のぼり吉田蔵
・初代辰治の屋外用絵のぼり|いわき絵のぼり吉田蔵(非売品)

初代 近藤辰治(たつじ)略歴

  • 生没年:明治13-昭和36年(1880-1961)
  • 当代との関係:母方曽祖父
  • 旧工房:いわき市平大舘
  • 作例:絵のぼり、矢羽根(上棟式用板絵)
  • 師匠:佐藤周吉、古川銀蔵 *制作の系譜は江戸期にさかのぼるものの、詳細は不明。

—— 辰治は生涯現役の絵師として絵のぼりを制作しました。

地域の「いわき絵のぼり組合」とは一歩距離を置く名人肌で、力を出し切った渾身作に挑む一方、生活を支えるために卸先の店名を入れた品も手がけています 。


絵の出来栄えを追及

初代絵師・近藤辰治の座敷のぼり(個人蔵)
・初代辰治の座敷のぼり|個人蔵

初代のエピソード

  • 繁忙期は食卓にも筆と硯を持ち込み、草案を考案した。
  • 工房には下絵や資料が山積みだったが、昭和の火災で多くを失った。
  • 戦時中は絵のぼり用の木綿が不足。代用の人絹(レーヨン)は顔料のノリが悪く、従来の濃厚な彩色から日本画調の薄塗りへと切り替え、素材に合わせた美しさを生み出した。
  • 絵のぼりの名品探訪のため子どもを連れて各地を巡り、目を養った。
    のちにその子どもが跡を継ぐ宇佐美しずえである。
初代・近藤辰治の落款印 ・初代辰治の印
初代・近藤辰治による絵のぼりの下絵
・初代辰治の絵のぼり下絵

先代(二代目)宇佐美しずえ

二代目・宇佐美しずえの制作風景(いわき絵のぼり)
・先代しずえ制作中の写真

先代 宇佐美しずえ略歴 いわき市無形文化財保持者

  • 生没年:大正9-平成14年(1920-2002)
  • 当代との関係:母方祖母
  • 旧工房:いわき市平馬目
  • 作例:絵のぼり、額絵、掛軸
  • 師匠:近藤辰治(実父)
  • いわき市無形文化財保持者

—— しずえは、実父・辰治の志を継いだ二代目の絵師です。

経済的な事情で進学の道は限られましたが、幼いころから絵を好み、父の仕事を手伝いながら腕を磨きました。

嫁ぎ先でも制作を絶やさず、後年「いわき市無形文化財保持者」に認定。
おおらかで温かみのある画風は、女流絵師ならではの魅力を放ちます。

当代・辰昇(しんしょう)にとっては祖母にあたり、幼少期から工房に親しみ、制作の現場で多くを学びました。

NHK全国放送と「いわき絵のぼり」の呼称

—— 高齢になっても筆を手放さなかった、父・辰治との突然の別れ。

それから一年余を経て、しずえに思いがけない舞台が訪れます。
昭和38年、NHK全国中継に宇佐美しずえが出演することになったのです。

この日、地元の“小旗”は「いわき絵のぼり」という名で日本に紹介されます。

NHK『それは私です』全国中継(1963年・平放送会館落成記念)で宇佐美しずえが紹介された場面
クイズ番組『それは私です』昭和38年 NHK平放送会館落成記念

もともとの呼び名「小旗(こばた)」

—— 地元では、節句ののぼりを古くから「小旗(こばた)」と呼んできました。
暮らしに根づいた呼称として、季節の行事とともに親しまれてきました。

1963年の放送表記「磐城(いわき)絵のぼり」

  • 放送日:昭和38年(1963年)2月27日
  • 番組:NHK『それは私です』全国生中継(NHK平放送会館〈現・NHKいわき支局〉落成記念)
  • 内容:宇佐美しずえがステージ上で制作実演
  • 司会:野村泰治アナウンサー
  • 会場:磐城高等学校 講堂
  • 主な出演者:安西愛子/池部良/長崎抜天/野村泰治/山本嘉次郎(敬称略)
  • 地元より:橋本先生(郡山市金透小学校)/宇佐美しずえ/熊川さん(相馬野馬追総大将)
1963年の番組画面に表示された「磐城(いわき)絵のぼり」の表記
「磐城絵のぼり」と初めて記載された番組の画面

—— 番組司会の野村泰治アナウンサーが原稿で用いた呼称が「磐城(いわき)絵のぼり」で、これが現在の名称へと受け継がれていきます。

昭和38年(1963年)2月27日、全国放送での出来事でした。

当時のナレーション原稿(「磐城(いわき)絵のぼり」の表記)
・放送で紹介された際のナレーション

市町村合併を経て「いわき絵のぼり」へ

—— 放送後、地元紙や商店・工房でも「磐城(いわき)絵のぼり」の呼称が用いられ、地域全体で共有される「名前の力」が生まれました。

市町村合併を背景に呼び名は「いわき絵のぼり」へ自然に定着し、のちの福島県指定伝統的工芸品(平成9年)にもつながっていきます。


説明動画(約38秒)


先代(二代目)の作品

二代目・宇佐美しずえ 作 いわき絵のぼり(非売品)—いわき絵のぼり吉田蔵
・二代目しずえの作品|いわき絵のぼり吉田蔵(非売品)

孫である当代絵師・辰昇(しんしょう)へ

—— 本サイトの制作者でもある当代絵師・辰昇(しんしょう)は、宇佐美しずえの孫にあたります。

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「絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。生で見なきゃもったいないです!」

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