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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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武者絵のぼりって?画像でみる起源(由来)と歴史

江戸中期の端午節句図(無銘)。
絵のぼり吉田蔵
目次
  1. 絵のぼりの起源は武士の旗指物
  2. 武具が五月の端午節句飾りへ
  3. 絵師のキャンバスとなり浸透
  4. 絵師の腕の見せどころ
  5. 江戸〜明治は外飾りの主役
  6. なぜ「武者絵のぼり」と呼ばれる?
  7. 素材や大きさの歴史
  8. まとめ
  9. 絵のぼり吉田について

端午節句絵のぼりの起源は武士の旗指物

戦国時代の旗指物
旗指物(はたさしもの)。歌川貞秀の合戦図より(部分)。
絵のぼり吉田蔵

五月節句の絵のぼりは旗指物(軍旗)が起源

こどもの日を中心に飾る「武者絵のぼり」の起源は、武士の「旗指物(はたさしもの)」に由来します。旗指物とは、武士が合戦の際に敵味方を識別するために用いた軍旗です。戦国時代が終わり、江戸時代になると、この旗指物が節句祝いの「絵のぼり」に変化しました。

太平の世になり武具が五月の端午節句飾りへ

江戸時代になると武具がお祝いの儀式に飾られた

戦国時代が終わると、武士が先祖から代々受け継いだ武具は、お祝いの儀式に活用されるようになりました。 特に男の子の端午節句では、湿気やすい季節柄もあり、虫干しをかねて、様々な武具を屋外に飾る習慣が広まりました。
端午節句襖図下絵(無銘)。江戸中期。
絵のぼり吉田蔵

旗指物におめでたい絵を描き、初節句祝いに

そうした武具のひとつである旗指物(軍旗)には、絵師に男児の成長を祈願した絵を描かせ、庭先に飾ることが通例となりました。 これは初節句に男児の誕生を神様へ知らせる目印(依代)であると同時に、通りがかる人々の目を楽しませ、その家の力を周囲に誇る役割も果たしました。 こうして五月節句幟(のぼり)(武者絵のぼり)の風習が始まったのです。

江戸時代、絵師のキャンバスとなり広く浸透

五月の景 葛飾北斎
絵のぼりを飾った景色。
引用:五月の景(葛飾北斎/1805年)より

太平の世に、絵のぼり(五月節句幟)文化が開花

かつて戦乱の世には武具だった旗指物は、太平の世が訪れると、五月の絵師のキャンバス「絵のぼり」に生まれ変わりました。
江戸時代には町人文化が発展し、浮世絵師のような職業絵師がたくさん生まれました。そしてその時代の中で、絵のぼり文化が開花したのです。

五月の青空にはためき、心がわくわくする絵の描かれたのぼり旗。図柄の題材は、どれも子供の幸せを願った美しいものばかり。 この風習は全国的に行われ、民間にも浸透し、たくさんの人々に親しまれました。

絵のぼりは絵師の腕の見せどころ

浮世絵師 歌川芳輝作 / 鍾馗図幟。江戸後期。
絵のぼり吉田蔵

江戸時代の絵のぼり制作者たち

江戸時代に絵のぼりを描いたのは、染師、地方絵師、町絵師、そして御用絵師など、さまざまな人たち。
彼らは縦長のキャンバスに工夫を凝らし、美しい作品を生み出しました。

なんと、葛飾北斎も大きな「朱鍾馗図幟しゅしょうきずのぼり」(ボストン美術館蔵)をはじめ、節句の作品を数多く制作しました。
実は、江戸時代の絵のぼりは、多くが家庭の蔵で長年忘れられたまま眠っています。
あなたのお宅にも、絵師の作品が眠っているかもしれませんね?

江戸〜明治は外飾りの主流

江戸後期の端午節句〜東都歳時記端午市井図
江戸後期の端午節句
引用:東都歳時記-端午市井図(1838年)より

絵のぼりは節句飾りの主役

明治ごろまで、絵のぼりは節句の外飾りの主流でした。
実は、鯉のぼりは江戸中期になってから絵のぼりの付属品としてはじめて誕生しました。
しかし明治ごろまでの人々は、武具がルーツの絵のぼりを重視しており、鯉のぼりはまだ脇役だったのです。

鯉のぼりの起源は以下のページへ。

なぜ「武者絵のぼり」と呼ばれる?

宇治川先陣争い図 いわき絵のぼり絵師 辰昇作

時代や地域ごとの呼称

五月節句の幟旗は、現在なぜ「武者絵のぼり」と呼ばれるのでしょうか。
「武家が飾っていた」からでしょうか?
実はそのような理由ではなく、もとは「節句幟せっくのぼり」などと呼ばれていましたが、最近では武者絵がよく描かれるイメージがある為に「武者絵のぼり」と呼ばれています。
他にもさまざまな呼称があり、「五月幟ごがつのぼり」「のぼり絵」「絵のぼり」「小旗こばた」「矢旗やばた」などがあります。

素材や大きさの歴史

端午節句 喜多川歌麿
室内用小型絵のぼり。
引用:端午節句(喜多川歌麿/1803年)より。
昭和前期の端午の節句、座敷飾り一式(海外向けの絵葉書)。
絵のぼり吉田蔵

江戸初期/武家は絹製、庶民は紙製など

民間では安価な紙製の絵のぼりが使用されましたが、一方で武家や商家では高級な絹製や木綿製のものを飾り、これを家の誇りとしました。

江戸中期〜後期/木綿が普及

木綿の普及に伴い、絵のぼりもその主流となりました。
さらに、屋外だけでなく、室内用の絹製の小型絵のぼりも、武家や商家で広まりました。
この時期には、浮世絵師がデザインした木版画の絵のぼりが出版されるようにもなり、さらに絵のぼりの付属品として、鯉のぼりの原型が登場しました。

明治後期以降/工業化による量産化

型染めの量産品が広まり、その後工業化したプリント製品が主流になりました。
現在では、流通している武者絵のぼりの9割以上がプリント製品とされています。
しかし当工房「いわき絵のぼり吉田」では、江戸時代からの手描きの伝統を絵師辰昇しんしょうが守り続けております。
福島県指定伝統的工芸品。

まとめ

  • 絵のぼりは武具が変化して江戸時代に誕生。当時活躍した絵師や染師が制作した。
  • 神の依代(よりしろ)として、男児成長祈願の図柄を描く。
  • 鯉のぼりは絵のぼりの付属品として誕生。

さらに詳しい歴史については、収集家の北村勝史(よしちか)氏が著作を残されています。
当サイトでは制作家の立場から、情報を発信してまいります。

→Wikipedia五月幟のページを見る
→Wikipedia端午のページを見る

初節句を彩る「いわき絵のぼり」の紹介動画です。これまでにお客様から寄せられた貴重な写真の数々、初節句の勇壮な雰囲気をご覧ください。
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江戸期の絵のぼり収集記のページへ

この記事の執筆者:いわき絵のぼり吉田の絵師辰昇(しんしょう)

手描き武者のぼり「いわき絵のぼり吉田」。福島県指定伝統的工芸品。
絵師辰昇(しんしょう)による肉筆(手描き)絵のぼりの世界をご覧下さい。

いわき絵のぼり絵師辰昇プロフィール(代表作/鍾馗幟)
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