いわき地域における節句の手描き絵のぼり文化は、天和3年(1683年)の御触れの時代にまでさかのぼります。
1963年には、絵師・宇佐美しずえがNHKの生放送番組で絵のぼりを紹介したことを契機に、「いわき絵のぼり」という呼び名が広く用いられるようになりました。
当工房では、古作からの学びと手描きによる制作を重ねながら、
絵のぼりを、現代の暮らしや場に寄り添う祭礼絵画として制作しています。
はじめに
—— いわき地域に根づく手描きの「絵のぼり」文化は、戦国期の旗指物を源流とし、江戸時代以降、節句の場で祈りや願いを託す絵画として育まれてきました。
とくにいわきでは、江戸時代初期に藩主の御触れによって節句文化として定められ、絵のぼりが町の風景の一部として根づいてきた点に大きな特徴があります。
本稿では、「いわき絵のぼり」がどのように生まれ、育ち、現代へと伝えられてきたのかを、分かりやすく紹介します。
江戸時代の記録
—— いわき絵のぼりの歴史をたどるうえで、以下の記録が残されています。
天和3年(1683年)7月19日、磐城平藩主・内藤義概(よしむね)は、
「端午の節句にのぼりを掲げ、町を彩るように」 との御触れを出したと伝えられています。
参考:磐城の幟の歴史と現況 佐藤孝徳著
この史料から、いわきの地では江戸時代前期にはすでに、絵のぼりを掲げる習慣が、町の風景の一部として存在していたことがうかがえます。
藩主自らが節句ののぼりについて御触れを出す例はきわめて珍しく、文化振興に理解のあった内藤義概の姿勢を示す記録としても注目されます。
いわきで受け継がれてきた理由について
―― なぜ、いわきでこの文化が受け継がれてきたのでしょうか。
その背景には、いくつかの要素が重なっていたのかもしれません。
江戸時代、節句幟(絵のぼり)は武家文化や節句の広がりとともに、各地へと伝わっていきました。
節句の時期、家の前に掲げられる絵のぼり
そのなかで、いわき地方では、藩主が関与して絵のぼりを奨励したことで文化の層が厚くなり、
明治維新後には、戊辰戦争で敗者側となった地域として、武家文化や節句の習わしを静かに大切にしようとする空気が生まれた可能性も考えられます。
作り手の努力と、飾り手の自然な受容が重なり、当時のいわきでは
「ここでは絵のぼりを飾るのが当たり前」
という地域の感覚が育まれていたのかもしれません。
こうした土壌があったからこそ、現代においても、
ネット社会を通じて全国各地の“こだわり派”の方々から求めていただく流れにつながっているように感じられます。
節句の暮らしと江戸の絵師文化
—— 絵のぼりは、端午の節句という人生儀礼の場に掲げられてきました。
いわき絵のぼりは、子どもの健やかな成長を願う依り代として、
暮らしの中にしっかりと寄り添ってきた旗です。
こうした節句の場で用いられる絵のぼりは、江戸時代には武家の旗指物から始まり、
盛んに立てられるようになりました。
筆と刷毛を用いた制作には、江戸時代の絵師による構図感覚や筆遣いが反映され、
絵画としての表情が生まれます。
かつては各地で見られた節句の絵のぼり文化は、多くの地域で姿を消しましたが、
いわき市周辺では現在まで受け継がれてきました。
平成9年(1997年)には福島県指定伝統的工芸品に指定され、
その希少な制作形態と文化的価値が、現在も地域の文化として位置づけられています。
地域ごとの呼び方(武者のぼり・武者絵幟・矢旗・節句のぼり・五月幟)
—— 江戸時代には、絵のぼりは全国各地で制作され、各地で飾られていました。
そのため、地域や時代ごとに、さまざまな呼び名で親しまれてきました。
- ・いわき絵のぼり
- ・武者のぼり
- ・節句幟
- ・矢旗
- ・五月幟
時代ごとの飾り方の変遷
—— 絵のぼりの飾り方は、時代ごとの社会状況や生活環境を反映しながら変化してきました。
・明治〜大正期
本数を多く掲げ、にぎわいを演出する傾向が見られました。
・大正〜昭和初期
幟は次第に大型化し、空に大きく翻る姿が人々の目を引きました。
・戦時中
物資不足の影響を受け、役目を終えた絵のぼりの布が布団や風呂敷などの生活用品として再利用されることもありました。
「いわき絵のぼり」という呼び名の成立
—— かつて、いわき地域では絵のぼりを「小旗(こばた)」と呼んでいました。
1963年(昭和38年)2月27日、当時の絵師・宇佐美しずえがNHKの生放送番組で絵のぼりを紹介したことを契機に、「いわき絵のぼり」という名称が広く用いられるようになりました。
以降、この呼び名は、地域文化を示す名称として定着していきました。
▼関連動画:名称の歴史を映像で見る
▼関連ページ:より詳しい説明はこちら
技法・素材・用途
—— いわき絵のぼりは、筆と刷毛によって一枚ずつ手描きされる肉筆絵画です。
顔料の いわき絵のぼり:左(絵画的)。
染料の 他地域絵のぼり:右(デザイン的)。
顔料には粉末顔料を用い、呉汁(大豆の汁)で溶いて布地に定着させる、伝統的な方法が採られています。
こうした技法は、絵画としての表現と、実際に使われる旗としての役割を両立させるために培われてきました。
画風について
—— いわき絵のぼりの画風は、狩野派的な品格を原点としつつ、浮世絵的な色彩表現へと展開してきました。
力強さと品位の両立が特徴であり、先人たちの仕事を踏まえながら、現代にふさわしい表現が求められます。
明治中期には画家の指導も入り、表現の幅が広がったと伝えられています。
また大和絵の大家・小堀鞆音(こぼり ともと)がその出来栄えに驚いたという逸話も残されています。
曽祖父・辰治は、強い強弱による線描を得意とし、
祖母・しずえは素朴な民画に秀でていました。
私はその系譜を受け継ぎながらも、江戸の筆法研究を軸に、現代にふさわしい画風を心がけています。
曽祖父辰治の鍾馗
祖母しずえの鍾馗
現代の制作姿勢
—— 現在のいわき絵のぼりの制作では、江戸時代の作品や歴史的背景を踏まえたうえで、現代の暮らしや用途に合うかたちが表現されています。
伝えられてきた技法を丁寧に受け止め、使われる場や時代に応じて進化を重ねていく。
その積み重ねが、文化を次の世代へとつないでいくのかもしれません。
文・構成:いわき絵のぼり絵師 辰昇(しんしょう)
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