福島県いわき市発──江戸の筆致を受け継ぐ、手描きの武者のぼり
——【要点(30秒要約)】
・1683年の御触れにさかのぼる、節句に飾る地域の絵のぼり文化。
・顔料による手描きの一点制作。
江戸の筆法と思想を踏まえ、現代に再構築。
・命名の転機:1963年、祖母・宇佐美しずえのNHK生放送出演を契機に「いわき絵のぼり」が定着。
——読了目安:4〜6分。
いわき絵のぼりが現代に求められる理由
—— お祝いの日や奉納の場に、気持ちを目に見えるかたちで添えると、空気がすっと整います。
戦の旗指物の記憶を受け継ぎ、江戸の町絵師文化と融合した肉筆の「いわき絵のぼり」は、家の節目・神社の奉納・展示空間に由緒をもたらします。
一点設計の強みにより、サイズ・構図・彩色を設計できます。
“鯉のぼりの源流”という物語性は、写真や解説と併せて伝える価値を高めます。
はじめに
—— まず、「なぜ今飾るのか」が分かると、歴史も自然に入ってきます。
いわき絵のぼりは、福島県いわき市で受け継がれてきた伝統工芸です。
江戸の肉筆画文化を源流とし、筆と刷毛による手描きの武者絵のぼりとして、一点ずつ仕立てられます。
絵のぼりとは、子どもの健やかな成長を願い、家々の依り代(よりしろ)=神仏や祖霊を迎える“目印・象徴として飾られてきた旗です。
戦国期の旗指物を原型に、平和な江戸時代には家族の節句飾りへと姿を変え、「武者絵のぼり(節句絵のぼり)」として全国に広まりました。
江戸の肉筆文化を今に受け継ぐ、稀少な存在
—— 今も肉筆の一点ものとして制作している伝統絵師は、全国でごく少数です。
いわき絵のぼりは、墨と顔料(粉状の色材)を用いた肉筆・一点物として希少性があります。
江戸時代には町絵師が切磋琢磨して絵のぼりを手がけており、その精神と美意識を踏まえ、私・辰昇(しんしょう)は現在も独自の研鑽を継続しています。
平成9年(1997年)には福島県指定伝統的工芸品に認定され、地域の誇りとして継承されています。
地域ごとの多彩な呼び方(武者のぼり・武者絵幟・矢旗・節句のぼり・五月幟)
—— 呼び名はいくつもありますが、どれも子の成長や家の願いを託す旗という点は同じです。
例)いわき絵のぼり、武者のぼり、節句のぼり、矢旗、五月幟。
いわきで幟が公式に推奨された記録が残っています
——「いつからあるのか」を示す、公の記録が残っています。
天和3年(1683年)7月19日、磐城平藩主・内藤義概(ないとう よしむね)は、「端午の節句にのぼりを掲げ町を彩るように」との御触れを出しました。
参考:磐城の幟の歴史と現況 佐藤孝徳著
この史料により、いわきでは1600年代から絵のぼりが定着していたことが確認できます。
これは全国的にみて、非常に古い節句絵のぼり文化です。
藩主は八橋検校を召し抱え狩野派絵師と交流するなど文化振興に尽力し、参勤交代の往来も相まって江戸の風習が地方へ伝播しました。
明治〜戦前の記録にみる飾り方の変遷
—— 時代の空気が、飾り方にも表れます。
本数競い→大型化→戦時の転用へと、時代相に応じて変化しました。
明治から大正には本数を誇る風潮があり、一家で数十本を掲げる例も見られました。
大正〜昭和初期には大型サイズが流行し、戦時中は物資不足から生地が布団などに再利用されました。
「こばた」から「いわき絵のぼり」へ──名前の由来
—— 呼び名の変化には、地域の記憶が宿ります。
昭和初期まで、いわき市内では絵のぼりを「小旗(こばた)」と呼びました。
1963年(昭和38年)2月27日、NHKの生放送番組『それは私です』(磐城高校講堂より中継)に、当時の絵師であり私の先代・祖母の宇佐美しずえが出演。
この紹介を契機に、「いわき絵のぼり」という呼称が地域で広まりました。
いわき絵のぼりの特徴(技法・素材・用途)
—— いわき絵のぼりの特徴(技法・素材・用途)。
まずは「どう描くか」を一言で。
顔料で手描きし、肉筆の深みを出します。
左:明治のいわき絵のぼり(絵画的)。
右:明治の染料染め絵のぼり(デザイン的)。
昔ながらの顔料を用い、筆と刷毛で木綿生地に手描きします。
絵画的な完成度と、浮世絵に通じる美しい彩色が特長です。
左:明治のいわき絵のぼり(絵画的)。
右:明治の染料染め絵のぼり(デザイン的)。
手描き顔料染めでは、粉末の顔料を「呉汁(ごじる)=大豆をすりつぶした汁」で溶き、色を定着させます。
屋外掲揚は季節や場所に合わせた期間設計と養生方法(設置日程や保護手順)をご案内します。
継承と更新──私の制作姿勢について
—— 昔のやり方をなぞるだけでなく、現代感覚に合う形で進化・制作します。
いわき絵のぼりは、常に同じ形式で続いたわけではありません。
私は、戦後に地域で定着した形式だけを“唯一の伝統”とせず、江戸時代の一流絵師たちが手がけた絵のぼり文化の深層に遡って検証し、現代にふさわしい形で再構築しています。
一次資料の収集・比較研究を通じて、構図・彩色・題材・仕立てを一作ごとに最適化するオートクチュール的な制作を重視します。
—— 絵師・辰昇が、制作にあたって大切にしている三つのこと。
1.歴史の一時相として地域の戦後様式を尊重すること。
2.江戸の筆致と思想(礼と祈り)を核に、現代に合わせて進化すること。
3.依頼内容と飾る環境に応じて、実用絵画として最適な設計を追求すること。
“復古主義”でも“地域様式の否定”でもなく、継承と更新が私の立場です。
いわき絵のぼりの画風──線と彩色が宿す存在感
—— 躍動感と格調の高さの両立を目標とします。
いわき絵のぼりの画風は、江戸期に狩野派風から浮世絵風へと変遷しました。
明治中期には画家の指導などにより研鑽が進み、表現の幅が広がったと伝えられます。
大和絵の大家・小堀鞆音(こぼり ともと)が出来栄えに驚いたという逸話も残ります。
私の曽祖父・辰治は狩野派風の線描、祖母・しずえは浮世絵的な民画を得意とし、私は江戸の筆法研究を軸に独自の画風を追求しています。
曽祖父辰治の鍾馗
祖母しずえの鍾馗
起源の整理(補足)
—— 長い流れを、まとめます。
戦国の旗指物 → 江戸の節句飾り → 地域の祈りの造形文化「いわき絵のぼり」へ。
いわき絵のぼりは江戸の絵師文化を今日まで伝える、祈りの造形として息づいています。
なお、鯉のぼりはこれらよりも新しく、明治期以降になって一般化しました。
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—— 福島県いわき市拠点、全国発送に対応。
主なご相談用途:初節句(室内・屋外)、神社奉納、展示・広報コラボレーション。
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