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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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〒971-8182 いわき市泉町滝尻字根ノ町73

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絵のぼり制作に込める思い 絵師辰昇CONCEPT


お子様が人生を生き抜く旗印を

私、辰昇は「絵のぼり文化」を大切にし、発展させたいと考えています。お子様が人生を生き抜く「旗印」として。そして逆風が吹く時代を駆け抜け、大成する人物となるための守り神として。当工房では手仕事の原点に立ち返り、労力を惜しまず制作に取り組んでいます。

お子様への願い

「絵のぼり」は、お子様の誕生を神に知らせる目的で、江戸時代に始まりました。かつては幼児が大人まで無事成長するだけでも大変な時代でした。それはいつの時代でも共感できる親の願いかもしれません。お子様の健やかなる成長への願いが、様々な絵柄に込められ、端午の節句に飾られます。

日本の伝統文化を通じてはぐくむ感性

伝統文化にふれる事は、物事を多角的に捉えるきっかけになります。なぜなら数百年前の風習や文化を体験することで、当時の時代背景に思いを馳せ、人間の感性に深みや柔軟性をはぐくむ事になるのです。それによって生き抜く強さ、心の軸、そして前向きな姿勢を身につけていただきたいと願っています。

節句絵のぼりの起源と発展

「絵のぼり」は、江戸初期に起源を持っています。最初は武家の旗指物として戦場で使用されていたものです。それが平和な江戸時代になると、端午の節句に縁起物の絵を描いて、男児の成長を祈願するようになりました。

町民文化の隆盛

江戸中期には、「鯉のぼり」が絵のぼりの付属品として誕生しました。しかし、絵のぼりは旗指物を継承しており、節句飾りの主役であり続けました。この時期は町民文化が栄え、浮世絵師などが芸術性と娯楽性を発揮し、絵のぼり文化が隆盛を極めたのです。

産業革命以降の大量生産

やがて明治時代後期の産業革命により、機械による絵のぼりの大量生産が始まりました。戦後のベビーブームも、「早く、安く」の傾向を加速させました。しかしその結果、絵のぼりの熱気と洗練が失われたのです。手仕事から離れた統一規格の製品は人々の関心を失い、鯉のぼりが主流となりました。

「絵師による絵のぼり文化」の価値

このような時代だからこそ、当工房では「絵師による絵のぼり文化」に不変の価値があると信じています。人々に「日本にこんな文化があったのか!」と再発見してもらえるよう取り組んでいます。

幼少期からの絵への情熱と祖母への感銘

幼少期から絵を志していた私(辰昇)は、高校を中退しスケッチに没頭する中で、満たされない想いを抱えていました。そんな時、幼少期から目にしていたのと変わらず、祖母が一心不乱に「絵のぼり」を制作する様子に感銘を受けました。

壮大なスケール感に魅了された瞬間

私は、祖母の工房に大きな絵のぼりが並べられた様子に「昔の人々の壮大なスケール感」を感じとりました。その豪快な迫力に魅了されたのです。江戸時代には、北斎などの一流絵師から村の絵描きまで大勢が腕を振るい、巨大な絵のぼりを飾りました。町中で手描きの絵画が大空にはためく様子は、まるでアートフェスのような高揚感があった事でしょう。

「大人が楽しめる、高品質な作品を世に送り出す」

私は「大人でも楽しめる、高品質な作品を世に送り出したい」という思いが強まりました。そこで、「文化の最盛期」である江戸時代の絵のぼりから学び、制作に取り組んできました。江戸時代の絵師の筆さばきは、まさに匠の技。躍動感と生命力に溢れているのです。

子供たちの成長に寄り添う「絵のぼり」

「鯉のぼり」は子供たちに楽しみを提供します。一方「絵のぼり」には、より強いメッセージ性があります。子供たちが成長すると、自分の初節句の贈り物に対する関心が高まると思います。そのため当工房では、成長したあとのお子様が誇らしく感じるものづくりを目指し、心を込めて制作しております。絵のぼりが子供たちの人生の象徴「旗印」となるように、日々精進しております。

いわき絵のぼり吉田 三代目絵師 辰昇

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