—— 本ページでは、「かつて全国で描かれていた祭礼絵画の文化」を現代に生かし、今も必要としている場へと静かに還元していくという私の制作理念と、その実践・技術・未来へのまなざしについて記しています。
人の手が支えてきた、絵と記憶の歴史
—— 数千年前、文字がまだ一般的でなかった時代、人々は「語り部」の声と、壁や土器に描かれた絵によって、物語や記憶を共有していました。
それは、単なる記録ではなく、共同体が自らのルーツを確かめ、生きる方向性を見出すための祈りの場であり、記憶の装置でもありました。
この営みは、壁画から神社の奉納幕や旗指物、節句幟(絵のぼり)へと形を変えながら、時代とともに生き続けてきました。
私はその延長線上に、現代にふさわしい「祭礼絵画」のあり方を探りながら、今を生きる人々と社会に、静かに記憶のかたちを手渡していきたいと願っています。
祈りが立ち上がる場に、絵を届けたい
—— かつて日本中で人々の願いとともに描かれていた、節句幟や幕絵といった“祈りの絵”── 私は、古作からその技と意味を学び、現代の社会や暮らしにふさわしい形で再構築し、文化として全国へと還元していきたいと考えています。
近代化以降、「人の手で描かれる儀礼のための絵」は、工業化の波の中で急速に姿を消しつつあります。
しかし私は、そのような絵が必要とされる場が、確かに今も残っていると感じています。
それぞれの場に寄り添い、現代に生きる“祈りの可視化”を届けること──それが、私が筆をとる理由であり、制作の根幹です。
線が語るもの・筆が刻む時間
—— 私の絵はすべて、筆による手描きで制作しています。
そこには「時間」「圧」「呼吸」が刻まれ、絵に命が吹き込まれます。
● 線
筆の入り・運び・止め──筆の動きが画面に物語を刻みます。
遠目でも意味が伝わるのは、線が“情報の骨格”だからです。
● 古作に学ぶ図像の知恵
古作に学び、時代を超えて受け継がれるモチーフやポーズ、色の配置を構造として理解し、現代の場にふさわしい形で再構築します。
たとえば、武者絵における「決めポーズ」や「赤と青緑の古典配色」など、意味を持つ図像の文法を活かしています。
● 手仕事であることの意味
“誰のために描かれたか”が見える絵を届けたい。
それが、人生の節目や共同体の記憶を支える絵の役割だと考えています。
百年後にも残る「記憶のかたち」
—— 絵のぼりや幕絵は、一時的な装飾ではなく、人と人をつなぐ「記憶の装置」だと私は考えています。
私が未来に残したいのは、絵そのものではなく、「絵を通じて人がつながる構造」です。
それは、手紙のようなものかもしれません。
言葉ではなく、筆の痕跡で綴る手紙。
かつて人々は、日照りにおびえ、龍の絵を描いて雨を祈り、疫病の流行に際しては、鍾馗を朱に描いて子の健やかな成長を願いました。
それらは、村の出来事であると同時に、人間社会全体が直面してきた試練の記憶でもあります。
その絵が、何十年後かに“心の記憶”として読み返されることを願って、私は筆をとり続けています。
変わらぬ軸としての“線”
—— 古作の知恵と筆の身体性を通して、現代の場にふさわしい“線”を描くこと。
それが、私の絵師としての軸であり、これからも変わることのない制作の根です。
— 絵師・辰昇
工房をご見学いただいた方の投稿より(@irodori_koinbr 様):
「絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。生で見なきゃもったいないです!」