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手描き武者のぼり|いわき絵のぼり吉田 絵師・辰昇

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江戸時代の端午節句の「絵のぼり」、どんな人が描いた?絵師から量産品まで

江戸日本橋十軒店兜市1863年 銅版画。貴重な江戸後期の武者のぼりの様子。
「江戸日本橋十軒店兜市1863年」銅版画。
1870年出版。パリ・アシェット社。
絵のぼり吉田蔵

—— 江戸時代の端午の節句、今でいうこどもの日を祝うために飾られた「武者絵のぼり」の制作者は、一体どのような人たちだったのでしょう? かつて江戸時代には、当時の優れた絵師たちがその制作に携わりました。 以下では、絵のぼりの種類ごとに、絵師 辰昇が収集したいくつかの作例を紹介いたします。

目次
  1. 江戸期の絵のぼり実例各種
  2. 歌川広重と絵のぼり
  3. 推薦図書
  4. その他の江戸時代の制作者
  5. 絵のぼりの形式
  6. 時代ごとの制作方法
  7. 絵のぼり吉田について

浮世絵師の手描き

鍾馗図幟 歌川芳輝 江戸後期~明治初期

浮世絵師の歌川国芳一門と絵のぼりに関する短い動画です。

  • 題名:鍾馗図幟
  • 時代:江戸後期~明治初期
  • 産地:関東
  • 作者:歌川芳輝
  • 素材:唐木綿
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約230×約95cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
本作「鍾馗図幟 歌川芳輝 作」は、高名な浮世絵師、歌川国芳の門人による作品です。

いわき絵のぼり絵師の手描き

日本武尊図幟 無銘 明治後期~大正期
  • 題名:日本武尊図幟
  • 時代:明治後期~大正
  • 産地:いわき市
  • 作者:無銘(近藤辰治?)
  • 素材:木綿
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約440×約67cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
福島県磐城(いわき)地方で、男の子の五月節句のお祝いに飾られた品となります。

染物店(紺屋)の豪華な筒描き

神功皇后図幟 無銘 江戸後期
  • 題名:神功皇后図幟
  • 時代:江戸後期
  • 産地:不詳
  • 作者:無銘(紺屋)
  • 素材:木綿
  • 技法:筒描き
  • 寸法:約820×約75cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
染物店による手の込んだ技法と貴重な唐木綿。当時の贅を尽くした作例です。

染物店(紺屋)の素朴な筒描き

熊谷直実図幟 無銘 江戸後期~明治初期
  • 題名:熊谷直実図幟
  • 時代:江戸後期~明治初期
  • 産地:不詳
  • 作者:無銘
  • 素材:麻
  • 技法:筒描き
  • 寸法:約450×約63cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
染物店によるラフな、当時の普及品です。

絵師の手描き紙幟(かみのぼり)

騎獅子鍾馗図紙幟 粂川祐景 江戸後期
  • 題名:騎獅子鍾馗図幟
  • 時代:江戸後期
  • 産地:栃木
  • 作者:粂川祐景(くめかわすげかげ)
  • 素材:和紙
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約220×約125cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
現在の栃木県壬生の画家による絵のぼりで、和紙に描かれています。

堤派の手描き座敷幟(のぼり)

大江山図幟 堤派 江戸後期~明治初期
  • 題名:大江山図
  • 時代:幕末~明治初期
  • 産地:関東
  • 作者:堤派(堤等琳の弟子)
  • 素材:縮緬
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約104×約27cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
当時絵のぼりや絵馬の名人として名を馳せた、三代目堤等琳(つつみとうりん)。その弟子による作例です。

染物師の友禅染め座敷幟(ざしきのぼり)

神功皇后図座敷幟 無銘 友禅 江戸後期
  • 題名:神功皇后図座敷幟
  • 時代:江戸後期~明治初期
  • 産地:不詳
  • 作者:無銘
  • 素材:縮緬
  • 技法:友禅染
  • 寸法:約95×約30cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
友禅染めの技法で描かれた室内用の小さな絵のぼりです。

浮世絵師の木版画ミニ幟(のぼり)

浮世絵版画の節句幟 歌川芳虎 江戸後期
  • 題名:五月節句幟
  • 時代:安政3年(1857年)頃
  • 産地:江戸
  • 作者:歌川芳虎
  • 素材:和紙
  • 技法:木版画浮世絵(玩具絵)
  • 寸法:約37×約25cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田
切り貼りしてミニ絵のぼりをつくる江戸時代のペーパークラフトシリーズ。歌川国芳の一門が数多く手がけました。
歌川広重の絵のぼり制作記録
― 飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』より ―
※参考文献:飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』(中央文庫)書影
参考文献:飯島虚心「浮世絵師歌川列伝」中央文庫

—— 歌川広重の旅日記には、絵のぼり制作の記録が残されており、浮世絵師による実作の貴重な事例としてご紹介します。

天保12年(1841年)、広重は「甲府道祖神祭」の幕絵制作のため、甲府の町人に招かれて滞在しました。
この滞在中、地域住民から襖絵や絵のぼり(五月節句幟)の注文も受け、精力的に制作にあたったとされています。

—— 彼の絵のぼりに関する記述は以下の3点です(原文ママ):

  1. 二間に一間の幟孔明(諸葛孔明/約360×約180cm)
  2. 二間に一間、鍾馗(鍾馗/約360×約180cm)
  3. 唐木綿小鍾馗(鍾馗/約200×約90cm)

ここで「唐木綿小鍾馗」に記された「唐木綿」とは、当時輸入された高級な幅広木綿のことです。
記述から、広重は用途や予算に応じて、サイズも素材も異なる絵のぼりを手がけていたことが読み取れます。

歌川広重が甲府で節句幟や幕絵を描いた記録が掲載された『浮世絵師歌川列伝』のページの一部

・素材と制作背景から読み解く文化的文脈

—— 唐木綿のような高級素材が絵のぼりに用いられる事例は、当時の布地流通の一端を示すと同時に、絵師の社会的地位や注文主の意図をも映し出しています。
実際、幅の広い布1枚で仕立てられた大画面の幟絵は、私を含む複数のコレクター所蔵の現物にも確認されており、著名絵師が依頼された際に選ばれやすい素材であったことは確実です。

ただし一方で、普及タイプの木綿生地を縫い合わせて構成した幟絵も多数残されており、そちらがむしろ一般的であった可能性も高いと考えられます。
つまり、布の選定や幟絵の構成は、単に技術的な選択ではなく、「依頼主の権威づけ」や「販売時の付加価値創出」を含んだ戦略的判断だったとも言えます。

・幟絵に込められた社会的役割と芸術性

—— そもそも、幟絵の報酬や公開範囲は、絵師の社会的地位や知名度によって大きく異なっていたと判断できます。
「幟絵は無名の職人のみが描いた」という現代的な偏見は、当時の多様な実態を見落とした誤解といえるでしょう。

実際、武家がお抱え絵師に描かせた芸術性の高い幟絵は、現在も全国に残されており、そのいくつかは公開された例もあります。
こうした事例は、「著名な絵師が、公共性の高い場である祭礼において、幟絵を通じて知名度や力量を示す」という構造が、当時すでに機能していたことを物語ります。

—— これは、現代における著名な画家やイラストレーターが広告に起用される状況と同様の構造です。
視覚メディアとして不特定多数の目に触れる祭礼という場は、政治・宗教・経済・芸術が交差する情報発信の場であり、幟絵はその「キャンバス」であったとも言えます。

さらに、江戸期以前の祭りは、現代以上に社会的・共同体的影響力を持つイベントであり、幟絵や幕絵はその最前線で使われる、極めて重要な視覚言語だったのです。

こうした視点から、当時の絵のぼりや幕絵を見直すことは、単なる民俗資料や工芸品としてではなく、その時代の価値観・社会構造・文化的戦略を読み解く鍵となります。

幟絵と布地の関係から読み解く、制作環境の多様性

—— 幟絵と使用布地:社会的背景と素材選定の関係性

唐木綿の国内流通が進んだことで、格式の高い幟絵や、社会的地位の高い絵師が関わる制作では、通常よりも幅広で上質な布地が用いられる傾向が出てきたと考えられます。
これらは絵師の力量の表現にとどまらず、発注者の権威づけや装飾的価値の演出といった意図とも結びついていた可能性があります。

—— 布地の幅と幟絵の規模:職人性と地域性の視点から

一方で、現存する幟絵には、一般的な巾の狭い木綿布を縫い合わせて構成された作品も数多く確認されており、むしろそちらの方が多数派だった可能性があります。
これは、絵師の階層、依頼者の経済規模、地域の物資流通状況などに応じて布地選定が柔軟に行われていたことを示しているといえるでしょう。

幟絵に見る絵師の社会的階層とその反映

—— 絵師の社会的地位と幟絵の性格

幟絵の制作には、無名の職人による普及型の作品だけでなく、著名な浮世絵師や御用絵師が関わった事例も各地に確認されています。
報酬体系や公開規模には明確な階層差があり、当時から幟絵の世界にも幅広い制作のレンジが存在していたと考えられます。

—— 幟絵にみる祭礼と権威の演出

幟絵は、単なる装飾ではなく、祭りという公共性の高い空間において、絵師の知名度や作品の格式をもって地域の威信を可視化する装置でもありました。
著名絵師を起用することは、政治的・文化的影響力の表出でもあり、戦略的な選択だったと推察されます。

—— 祭礼空間と幟絵:可視性とメディア性の交錯

祭礼というメディア:江戸期の社会的影響力
江戸期における祭礼の社会的影響力は、今日以上に大きかったと考えられます。
幟絵は、都市でも農村でも、不特定多数の目に触れる位置に掲出され、人々の記憶に強く残る存在でした。
そうした影響力の高さから、当時の幟絵は現代の広告に近い役割を果たしていたともいえるでしょう。

—— 現代広告との構造的類似

現代でも企業が著名な画家やイラストレーターを広告に起用するように、幟絵の世界でも絵師の「名」は作品の意味を強化する記号でした。
人々の注意を引き、価値を増幅させる構造は、時代を超えて共通しているといえるでしょう。

—— 歴史解釈と文化の再構築へ

文化復興と現代的再定義に向けて
これらの視点は、単なる資料的知見の積み重ねにとどまりません。
幟絵とは何か、それがどのような機能を果たし、誰のために存在していたのかを問い直すことは、現代における文化の再評価・再構築に通じます。
私はこうした歴史的背景をふまえ、絵のぼり文化を「この時代に、この場所で、この私が描く」意味として再定義し、広く社会に還元することを活動の核心としています。

—— 絵のぼり推薦図書

その他おすすめ
民藝 "特集 日本の幟旗" 北村勝史、尾久彰三ほか著 日本民藝協会 2007年4月号
別冊太陽/藍の華やぎ筒描 平凡社 2003年
民具マンスリー 第31巻2号 "磐城の幟の歴史と現況" 佐藤孝徳著 1998年
別冊太陽/木綿古裂 平凡社 1996年

—— 伝統について

絵のぼりの制作者

作品が確認された絵師
浮世絵派…葛飾北斎、柳文調、柳文朝、鳥居清元(二代)、鳥居清忠(四代)、歌川国芳、歌川国長、歌川芳輝
土佐派…長安周得
円山派…山口素絢
四条派…長山孔寅
狩野派…英一蝶、弘瀬金蔵、三村晴山、狩野永信、粂川祐景
銅版画家…亜欧堂田善
*その他、博物館蔵や個人蔵多数。
所在不明だが制作記録のある絵師

浮世絵派…歌川広重
堤派…堤等琳(三代)
狩野派…河鍋暁斎

*堤等琳(三代)は、江戸後期の幟絵師や絵馬師の元締め的存在。
*暁斎は、明治6年(1873年)ウィーン万国博覧会に、絵のぼり「神功皇后武内宿禰図」を出品。

地方絵師、染師など
地方の染師、幟絵師の活動履歴は不明なケースが多い。
大らかな作品は、民画の醍醐味を味わえる。
なかには完成度の高い作品を残した者も。
帝室技芸員になった歴史画の大家小堀鞆音(こぼりともと)の父、須藤晏斎(すどうあんさい)は優れた幟絵師だった。

絵のぼりの形式

旗指物(はたさしもの)…戦国時代
武家で用いる旗指物には、家紋、幾何学模様、文字、絵などが描かれる。
これが江戸初期に“絵のぼり”へ変化。
絵のぼり(屋外用)…江戸初期~現代
江戸初期、武家で旗指物をふくむ武具を虫干しする習慣が、端午節句の絵のぼりに変化。
男児成長を祈願する依代(よりしろ)となった。
文化が江戸から全国へ伝搬するのに、あまり時間はかかっていない。
福島県いわき市では、江戸初期の文献に絵のぼりの記述あり。
まねき(付属品の小旗)…江戸初期~現代
絵のぼりの先端に取り付け、ひらひらと舞う小旗。
絵のぼりは、男児誕生を神に知らせ招き入れる依代(よりしろ)として飾る。
「まねき」は、神を手招(てまね)きする用具。
紙幟(かみのぼり)…江戸初期~大正ごろ
江戸初期、安価な紙製の絵のぼりが民間に普及。
武家でも絹製や木綿製と併用された。
耐久性は低い。
凧の制作技術と共通点がある。
絵師の手描きから、浮世絵師による版画まで。
古い作例は、1700年ごろ英一蝶(はなぶさいっちょう)「紙本墨画淡彩鍾馗図」(東京都指定有形文化財)。
座敷幟(ざしきのぼり)(内幟)…江戸中後期~現代
五月飾り全般が小型化され、室内用の絵のぼりは文化として定着。
※贅沢禁止令が影響した可能性も。
著名絵師の作例が多い。
民間では浮世絵師の木版画ミニ絵のぼりを組み立てた。
素材)絹製、縮緬製、木綿製、紙製。
技法)手描、合羽刷、筒描、友禅、型染、プリント。
鯉のぼり…江戸中期~現代
江戸中期に武者絵のぼりの付属品として登場。
明治初期まで真鯉のみ。
明治後期に緋鯉などが加わった。
現在のように複数のカラフルな形式となったのは戦後。
昭和初期まで、安価な紙製も多かった。

絵のぼりの制作方法

手描き(肉筆画)…江戸初期~現代
筆や刷毛で布に絵具を着彩する。
日本画のように絵画的仕上がり。
いわき絵のぼりは手描き。
制作者は町絵師、御用絵師、農閑期の農家など幅広い。
古い作例は、桃山時代の「絹地著色鍾馗図幟」(国指定重要文化財)。
筒描(つつが)き、友禅…江戸初期~現代
染師が防染糊の線を描き、糊が乾いたのち手彩色。
輪郭線が白抜きでデザイン的な画面構成。
顔や肌が露出した部分のみ、墨線の例が多い。
絵師が下絵を描いた例も。
室内用の小型絵のぼりは、友禅染の例あり。
木版刷り(紙製)…江戸時代
浮世絵版画の歴史とともに発展。
江戸初期は安価な紙製絵のぼりが普及。
そのため木版画の手法も多く用いられた。
例)鳥居派による、大型版木がボストン美術館に収蔵。
江戸後期には歌川派による、小型の組立式絵のぼりシリーズ出版。
合羽刷り…江戸~昭和
刷毛にふくんだ絵具を直接型紙で布に刷り込み、絵柄をあらわす。
顔のみ手描き。
江戸期の作例は、上方浮世絵の技術と関連している可能性も。
おもに量産目的で技法を用いられた。
ステンシル染。
型染め…明治後期~現代
型紙で防染糊を置き、糊が乾いたのち彩色する(引き染め、注染等)。
輪郭線が白で表現される。
顔のみ手描き。
いっけん筒描きに近い仕上がりだが、繊細さが異なり量産向き。
染師が制作。
機械染め…昭和~現代
現代工法によるプリント。
現代物の9割以上がここに分類。
国産以外に、より安価な海外製も。
現代においては絵のぼりの風習を維持する屋台骨。

初節句を彩る「いわき絵のぼり」の紹介動画です。これまでにお客様から寄せられた貴重な写真の数々、初節句の勇壮な雰囲気をご覧ください。
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—— 職人について

—— 制作実績

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初節句を彩る「いわき絵のぼり」紹介動画

これまでにお客様から寄せられた貴重なお写真とともに、初節句の勇壮な雰囲気をご紹介しています。

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いわきFC応援幕|鍾馗図原画の制作

いわきFCの巨大な応援幕の原画として、「端午の節句の魔除けの神」鍾馗様を描かせていただきました。

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書籍掲載のご報告|『ときめくニッポン職人図鑑』

全国31人の職人のひとりとして掲載いただきました。

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鎮守氷川神社|クシナダヒメ様奉納画

以前納めさせていただいた「スサノオ様」と一対となる、主祭神「クシナダヒメ様」を描かせていただきました。

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工房をご見学いただいた方の投稿より(@irodori_koinbr 様):

「絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。生で見なきゃもったいないです!」

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