―― 歌川芳輝は、歌川国芳の門人として知られる浮世絵師です。当工房では、芳輝の署名が残る《鍾馗図幟》を所蔵しています。幅広の唐木綿に描かれた鍾馗の姿からは、大きな布を画面として生かす筆遣いが感じられます。
人物の描き方や布地の特徴に加え、署名と落款印に残る制作上の工夫にも目を向けながら、絵のぼりを描く立場から本作を紹介します。
1|歌川芳輝《鍾馗図幟》について
- 題名:鍾馗図幟 ※非売品
- 時代:江戸後期~明治初期
- 産地:関東
- 作者:歌川芳輝
- 素材:唐木綿
- 技法:肉筆(手描き)
- 寸法:約230×約95cm
- 所蔵:いわき絵のぼり吉田
2|鍾馗の人物表現と肉筆の筆致
―― 鍾馗は、端午の節句に魔除けや厄除けの願いを託して描かれてきた画題です。芳輝は剣を手にした鍾馗を布地いっぱいに配し、衣を大きく広げた姿によって、画面全体に勢いを与えています。
絵のぼりを描く立場から見て印象的なのは、衣の輪郭を形づくる太く力強い線と、髪や髭を描き込む細い線の使い分けです。離れて眺めると鍾馗の姿がはっきりと浮かび上がり、近づけば顔まわりの細やかな描写も見えてきます。大きく掲げることを意識した表現と、肉筆ならではの細部とが、一つの画面の中で生かされているように感じます。
3|幅広の唐木綿と節句幟の素材
―― 本作に用いられている唐木綿(とうもめん/からもめん)は、当時、高価な素材として扱われていた幅広の輸入木綿です。唐木綿に鍾馗を描いた幟は、江戸時代の文献にもその名が残されています。
飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』には、歌川広重が天保12年(1841)に甲府で幟を制作した記録が収められており、その中に「唐木綿小鍾馗」という記載があります。芳輝の本作とは別の作品ですが、唐木綿という布地と鍾馗の画題が、当時の浮世絵師による幟制作でも用いられていたことが分かります。
4|署名・落款印と型紙の使用
―― 本作には「芳輝」の署名と朱の落款印が残されています。
落款印を現物で観察すると、型紙を使ってその形を写したのではないかと思われる痕跡があります。絵のぼりを描く立場から考えると、同じ形を繰り返し写せる型紙は、複数の幟を手がける際にも理にかなった方法です。署名のほかに、こうした印の表し方にも、当時の制作工程を考える手がかりが残されています。
5|歌川芳輝と歌川国芳一門
―― 歌川芳輝(1808~1891年)は、江戸日本橋に生まれ、谷文晁に学んだのち、歌川国芳に入門したとされています。高崎市立中央図書館の調査記録によれば、その後は高崎を拠点に活動し、絵馬などの肉筆作品を残しました。師の国芳自身も節句幟を描いており、その門人たちの中にも幟の制作に携わった絵師がいました。こうした画業の広がりを踏まえると、本作も歌川派の絵師が手がけた節句幟の一例として見ることができます。
6|作品との出会いと署名の確認
―― 本作を入手したのは、骨董店が古い幟として出品していたときのことでした。作者名が付されていたわけではありませんでしたが、手元で確かめると「芳輝」の署名が残されていました。こうして作者の名を確認できたことは、その後、絵の表現や制作技法を調べていくうえでも大切な手がかりとなっています。
7|浮世絵師の節句幟と研究の歩み
―― 江戸時代の浮世絵師が節句幟の制作にも携わっていたことは、古作を研究する人々の間では以前から知られていました。しかし、その実態については公刊された研究が限られ、現存作品を通じた調査が現在も進められています。
私自身も、先行する収集家や研究者の知見に学びながら古作を集め、制作技法や絵師の特徴を調べてきました。本作も、そうした研究の手がかりとなる一作だと考えています。
8|関連する古作絵のぼりと歴史解説
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