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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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15.日本武尊(やまとたけるのみこと)神功(じんぐう)皇后、加藤清正図座敷幟 無銘 非売品

日本神話の座敷幟

日本武尊、神功皇后、加藤清正図座敷幟 明治期01
  • 題名:日本武尊図 神功皇后図 加藤清正図 座敷幟
  • 時代:明治
  • 産地:不詳
  • 作者:無銘
  • 素材:正絹
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約37×約32cm/日本武尊図 約75×約24.5cm/神功皇后図 加藤清正図
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田

日本武尊(やまとたけるのみこと)

日本武尊、神功皇后、加藤清正図座敷幟 明治期02

日本神話の座敷幟(五月節句絵のぼり)

本作は、室内に飾るための小さな絵のぼりで、明治時代に制作されました。
それは絹に墨や岩絵具で描かれた、日本画の技法による作品です。
残念ながら作者の銘はありませんが、見事な描写をしています。
ところで昔の座敷幟は、通常3旒のセットで構成されており、東日本では中央に「鍾馗」のモチーフがくるのが一般的でした。
しかし、本作は日本武尊(ヤマトタケル)を描いており、明治時代以降の特徴が表れています。
そして他の2旒も、神話と説話をテーマにしています。
これらの組み合わせは、明治時代ならではのものと言えます。

神功(じんぐう)皇后図

日本武尊、神功皇后、加藤清正図座敷幟 明治期03

表面

日本武尊、神功皇后、加藤清正図座敷幟 明治期04 絹本裏彩色

裏面

神功皇后図の御利益の変遷

もともと神功皇后図は、江戸時代以前から親子の健康祈願の側面から親しまれていました。
というのも、神功皇后とその息子の応仁天皇は、八幡神社の御祭神として長く親しまれてきた存在だったからです。
しかし明治時代から戦前にかけては、三韓征伐の物語が注目され、この面から多く取り上げられました。

本格絵師の技法:裏彩色

さて、技法の面には特筆すべき点があります。
実は衣服の白い部分が絹の裏側から塗られており、作品を鑑賞する際に薄い白色に見せる「裏彩色」と呼ばれるテクニックが使われているのです。
これにより、神功皇后のお顔の白さが際立つように工夫されています。

加藤清正図

日本武尊、神功皇后、加藤清正図座敷幟 明治期05

明治期の加藤清正図の特徴

加藤清正図は、明治時代から戦前にかけて一般的だった「朝鮮半島から富士山をのぞむ加藤清正」という図です。
江戸時代の画技が色濃く引き継がれ、ここからも明治時代のものであることが分かります。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

→Wikipedia日本武尊のページを見る
⇒Wikipedia神功皇后のページを見る
→Wikipedia加藤清正のページを見る

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日本武尊他座敷幟 明治期

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この記事の執筆者:いわき絵のぼり吉田の絵師辰昇(しんしょう)

手描き武者のぼり「いわき絵のぼり吉田」。福島県指定伝統的工芸品。
絵師辰昇(しんしょう)による肉筆(手描き)絵のぼりの世界をご覧下さい。

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