―― 江戸時代後期に制作された、無銘の《三番叟図幟》。五穀豊穣や天下泰平を願う祝福の舞「三番叟」を、木綿地に筒描で表した作品です。
この幟について調べる中で、ニューヨークのメトロポリタン美術館に、よく似た三番叟図幟が所蔵されていることに気が付きました。
二つの作品には図柄の共通点がある一方、描き込みや構成には違いも見られます。それぞれの作品を比較しながら、江戸時代の絵のぼりの制作と、祝いの文化について考えてみたいと思います。
1|所蔵品《三番叟図幟》について
- 題名:三番叟図幟 ※非売品
- 時代:江戸後期
- 産地:不詳
- 技法:筒描
- 素材:木綿
- 寸法:約370×約68cm
- 作者:無銘
- 所蔵:いわき絵のぼり吉田
―― 本作は、黒い面をつけ、装束をまとって舞う三番叟を描いた幟です。
輪郭や衣装の文様には、筒描によって白く染め残された線が用いられています。大きな色面と簡潔な線描によって、舞う人物の姿が表されています。
全長約3.7mの幟で、端午の節句を祝うために用いられたものと考えられます。
2|三番叟という吉祥の画題
―― 三番叟は、能楽の祝言・儀礼的な演目である「翁(式三番)」の中で、狂言方が勤める舞です。
足拍子を踏みしめる「揉ノ段」と、黒い面をつけて鈴を振る「鈴ノ段」があり、天下泰平や五穀豊穣を祈る意味が込められています。
こうした祝福の意味を持つ三番叟は、能楽だけでなく、歌舞伎舞踊などにも取り入れられてきました。
端午の節句の絵のぼりにも、武者や神仏、物語の人物など、さまざまな吉祥の画題が選ばれています。本作の三番叟も、家の繁栄や子どもの健やかな成長を願う節句の祝いにふさわしい題材だったのでしょう。
3|メトロポリタン美術館所蔵の三番叟図幟
―― 私の所蔵する三番叟図幟と比較できる作品が、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。
- 作品:三番叟図幟(美術館登録名:Banner (Nobori))
- 時代:文政10年(1827年)
- 技法:筒描
- 素材:木綿・麻(推定)・竹・紙
- 寸法:約858.5×69.9cm
- 奉納先:正八幡宮(所在地不明)
- 所蔵:メトロポリタン美術館
- 収蔵番号:1999.247.6
美術館の解説によると、この幟には、文政10年8月に正八幡宮へ奉納されたことを示す墨書が残されています。
全長は約8.6m。二幅の布を縫い合わせた大きな幟で、筒描の白い線によって衣装の文様や人物の姿が表現されています。
奉納先の所在地は明らかではありませんが、制作年代と神社への奉納の事実を知ることのできる、貴重な資料です。
メトロポリタン美術館の作品を知ったとき、私の所蔵品と通じる図柄が、これほど大きな奉納幟にも描かれていたことに興味を覚えました。
4|二つの三番叟図幟を比較する
―― 二つの幟を並べてみると、三番叟の姿や装束、色彩の取り合わせなどに共通点が見られます。同系統の意匠をもとに描かれた可能性を感じさせる作品です。
※比較画像では、私の所蔵品(右)の視認性を高めるため、退色補正を施しています。メトロポリタン美術館所蔵品(左)は無加工です。
一方で、人物の形の取り方や衣装の文様、細部の描き込みには違いがあります。
幟全体の長さは、メトロポリタン美術館所蔵品が約8.6m、私の所蔵品が約3.7mと大きく異なります。しかし、三番叟を描いた部分の大きさには、それほど極端な差はありません。
それにもかかわらず、衣装の文様や色面の構成、細部の描き込みには、明らかな密度の差が見られます。
こうした違いには、神社への奉納幟と個人の節句幟という用途や、制作にかけられた費用、職人それぞれの表現などが関係していたと考えられます。
同系統の図柄であっても、制作された背景や条件によって表現が異なることは、古作絵のぼりを比較するうえで興味深い点です。
5|祝祭文化の中に広がる三番叟の姿
―― 二つの三番叟図幟を比較すると、同じような図柄が、神社への奉納と個人の節句祝いという異なる場面で用いられていた可能性が見えてきます。
江戸時代の絵のぼりにも、注文主の好みや地域の流行、制作する職人の表現など、さまざまな要素が反映されていたことでしょう。
今回の二作についても、共通する手本が存在したのか、あるいは似た図柄が各地の職人の間で共有されていたのか、興味は尽きません。
そして、もう一つ注目したいのは、三番叟という画題そのものです。
豊穣や繁栄を願う祝福の舞が、神社に奉納する大きな幟にも、家庭の節句を祝う幟にも描かれていたと考えると、当時の人々が絵のぼりに託した願いの広がりを感じます。
こうした古作を自ら収集し、ほかの現存作品と比較することは、昔の絵師がどのような条件のもとで、どのように図柄を描き分けていたのかを考える手掛かりになります。
現在も絵のぼりを制作する立場から、作品に残された筆遣いや構図、色彩を読み取り、伝統的な図像への理解を深めていきたいと思います。
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