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手描き武者のぼり|いわき絵のぼり吉田 絵師・辰昇

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  3. 鯉のぼりの起源、武者絵のぼりとの関係

鯉のぼり(鯉幟)の起源と歴史、武者絵のぼりとの関係
こいのぼりの由来とは

—— 鯉のぼりは、
江戸期の節句幟(絵のぼり)の流れの中で生まれました。

当時描かれていた鯉の滝のぼり図が立体化し、
やがて現在の姿へと展開していったと考えられています。

このページでは、江戸時代の資料や古作の絵のぼりをもとに、
いわき絵のぼり絵師・辰昇の視点からその背景を整理します。

鯉のぼりの由来は武者のぼりにあります
・江戸後期の端午の節句。五月幟図|雪峯作
いわき絵のぼり吉田蔵

目次

1|はじめに

—— いま、私たちが当たり前のように目にしている
「鯉のぼり」。

その起源をたどると、
江戸時代の「武者絵のぼり(節句幟)」
深く関わっていることが見えてきます。

本ページでは、
節句幟(絵のぼり)を制作する絵師として、
所蔵資料をもとに、
鯉のぼりがどのように生まれ、
姿を変えてきたのかを整理します。

現存する史料の範囲では、
鯉のぼりは江戸中期から後期に広がった
絵のぼり文化の流れの中から生まれたと
考えられています。

また同時代の人々には、
町人層による新しい風習として
受け止められていたこともうかがえます。〔注1〕

2|鯉のぼりの起源と武者絵のぼり(節句幟)

江戸後期の武者絵のぼり《鯉の滝のぼり》(右)——鯉意匠が幟図像として先行した例|いわき絵のぼり吉田蔵
・江戸時代後期の武者絵のぼり「鯉の滝のぼり」(右)
—— 幟側に鯉意匠が先行した作例
いわき絵のぼり吉田蔵

—— 「鯉のぼり」と「武者絵のぼり(節句幟)」は、
どちらも五月の外飾りですが、
先に広まり、長く中心的な役割を担っていたのは
武者絵のぼりでした。

江戸初期には武者絵のぼりが広がり、
鯉のぼりは江戸中〜後期に、
招きや吹流しなどが変化する中で
次第に独立していったと考えられています
(地域差あり)〔注1〕

武者絵のぼり(節句幟)は、
旗指物(軍勢の旗)をもとに生まれた
節句の外飾りであり、
江戸時代を通じて
儀礼の中心的な役割を担っていました。

当時は、
鯉のぼりだけを大きく掲げる例は少なく、
徐々に独立した形式として
定着していったとみられます。

鯉のぼりが広く一般化するのは、主に明治以降のことです。

武者絵のぼり
(節句幟)
先行文化
江戸初期~
鯉のぼり 絵のぼりから派生説
江戸中期~

鯉のぼりの前身となった「武者絵のぼり」についての解説ページ
武者絵のぼりの起源と歴史のページへ

武家における絵のぼりの起源

戦場の旗は、
やがて節句を祝う絵の旗へと変わる。

▶ 詳細を見る

3|江戸時代の定番だった「登竜門図」

江戸時代中期の屏風に描かれた「鯉の滝のぼり」の節句絵のぼり|いわき絵のぼり吉田蔵
・江戸時代中期の屏風に描かれた
「鯉の滝のぼり」の節句絵のぼり
いわき絵のぼり吉田蔵

—— 絵師による絵のぼりの題材として、
「鯉が滝を登る」図柄──いわゆる「登竜門図」は、
江戸時代の比較的早い時期から
定番の主題となっていました。

この図柄が立体化し、
のちの鯉のぼりへと展開していったとする見解は、
現在では広く受け入れられています。

—— 実際、葛飾北斎のような著名な絵師も、
節句幟(絵のぼり)を手がけた実例が複数残されています。

北斎が得意とした「鍾馗」をはじめ、
武運や出世を象徴する大画面の図柄は、
江戸の絵師たちにとって
力量を示す重要な題材でした。


葛飾北斎も手がけていた、江戸時代の絵のぼりの実例紹介
葛飾北斎が描いた絵のぼり - ボストン美術館蔵のブログ記事を見る

北斎が描いた絵のぼり──ボストン美術館所蔵

北斎「朱鍾馗図幟」について読み解く。

▶ 詳細を見る

4|「まねき」が変化し、鯉のぼりに

節句幟の上端に付ける付属(招き・吹流し)が変化し、鯉形が付くようになった例示|いわき絵のぼり吉田蔵
鯉のぼりの起源にもなった節句幟と付属(招き・吹流し)|いわき絵のぼり吉田蔵

—— 絵のぼりの上部に付けられていた
「招き
(まねき)」や吹流しは、
やがて鯉の意匠を取り入れながら、
小ぶりで立体的な形へと変化していきました。

そこから鯉のぼりが独立し、
現在の姿へと展開していったと考えられています。

鯉の形をした招き 江戸中期~
絵のぼりの付属
真鯉の鯉のぼり 江戸後期~
だんだん大型化
多色の鯉のぼり 明治以降~
全国的に普及

5|真鯉一匹から始まった

江戸末期の小型鯉のぼり(1863年・江戸日本橋十軒店兜市より)|いわき絵のぼり吉田蔵
・江戸末期の小型鯉のぼり(「江戸日本橋十軒店兜市 1863年」より)|いわき絵のぼり吉田蔵
—— 鯉のぼりは、
明治初期ごろまでは、
黒い真鯉一匹を掲げるのが基本でした。

江戸時代においては、
五月節句の儀礼の中心を担っていたのは
武者絵のぼり(節句幟)であり、
鯉のぼりは主に町人層のあいだで
広まっていった風習でした。

その後、
緋鯉が加わり、
家族構成に合わせて
数や色が増えていきます。

現在のように
多色の鯉のぼりは戦後以降に広く普及し、
現在の形式が定着しました。

6|鯉のぼり── 鯉のかたちをした「幟」

—— 「こいのぼり」は、
漢字では「鯉幟」と書きます。

この表記が示すとおり、
鯉のぼりは本来、
幟(細長い旗)の形式を踏まえた、
端午の節句に掲げる幟の一種でした。

五月節句においては、
武者絵のぼりが
威信や成長祈願を表す儀礼の中心を担っており、

その文化的な枠組みの中から、
鯉のぼりが
町人層の風習として次第に独立していった
と見ることができます。
鯉のぼりと武者のぼりの系譜的関係(幟文化の延長としての鯉幟)

7|まとめ

  • ・鯉のぼりは、江戸中〜後期に
     「招き」や吹流しが変化する中で成立したと考えられています。
  • ・江戸時代の節句儀礼の主流は
     武者絵のぼり(幟)であり、
     鯉のぼりは主に町人層の風習として広まりました。
  • ・明治初期までは
     黒い真鯉一匹が基本で、
     多色化は明治以降に進みました。
  • ・「鯉幟」という語形は、
     鯉のぼりが幟文化の系譜にあることを示しています。

    文・辰昇|絵のぼり絵師
    福島県いわき市

→Wikipedia鯉幟のページを見る


〔注1〕 同時代の歳事記は、座敷用の絵のぼりや鯉のぼりを
「近世の簡易」「東都の風」と記し、
新しい町人風俗として位置づけている。
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—— 本ページで紹介している資料の一部は、
【 江戸楽 2022年5月号 】に提供・掲載されました。

雑誌表紙と掲載誌面(本文モザイク済み)

掲載誌面と雑誌の表紙


・鯉のぼりが武者のぼりから変化した歴史
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武者絵のぼり文化の歴史については、
以下のページもあわせてご覧ください。

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