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手描き武者のぼり|いわき絵のぼり吉田 絵師・辰昇

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堤派(堤等琳門人)|大江山図座敷幟
——幕末~明治期に描かれた室内用の節句幟

大江山図座敷幟 堤派 幕末~明治初期

堤派と町人文化に根ざした絵のぼり

堤派による大江山図幟の全景
  • 題名:大江山図 ※非売品
  • 時代:幕末~明治初期
  • 産地:関東
  • 作者:堤派(堤等琳の弟子)
  • 素材:縮緬
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約104×約27cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田

—— 本作は、町絵師・堤等琳の流れを汲む「堤派」絵師の作品です。

彼らは節句幟のほか、絵馬や社寺の天井画など民間の需要に広く応え、町人文化の担い手として活動しました。

堤等琳は上質な仕事が好景気を背景に受け入れられ、多くの弟子を抱えたことでも知られています。


北斎との交流と影響

堤等琳と葛飾北斎の交流

—— 葛飾北斎は一時、堤等琳のもとに弟子入りし、同居したと伝わります。
さらに弟子と北斎の娘・お栄との婚姻もあり、両者の交流は深いものでした。

北斎が「朱鍾馗図幟」(ボストン美術館蔵)をはじめとして、節句幟を手掛けた背景には、堤派の影響が関与していた可能性があります。


源頼光と坂田公時の大江山退治

大江山図幟アップ

—— この幟には、源頼光と四天王の一人・坂田公時が、大江山の酒呑童子討伐へと向かう場面が描かれています。

坂田公時とは、金太郎が成長して武士となった姿であり、その武勇にあやかり男児の成長を願う意味が込められました。


座敷幟という風習

—— 本作は、三幅対のうちの一つでした。
これらは屋外ではなく室内に飾る「座敷幟(内幟)」で、江戸中後期以降に定着した風習です。

また浮世絵師・歌川国貞による版画「座敷幟」と共通する場面も描かれており、当時人気の画題であったことがうかがえます。

いわき絵のぼり吉田・絵師 辰昇(しんしょう)


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「絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。生で見なきゃもったいないです!」

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