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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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▽江戸時代の武者絵のぼりをご覧ください

05.大江山図座敷幟(ざしきのぼり) 堤派 非売品

大江山図座敷幟 堤派 幕末~明治初期
大江山図座敷(のぼり)(手描き)堤派(つつみは)
幕末~明治初期。
約104×約27cm。縮緬製。

絵のぼり吉田蔵

北斎と交流した堤派(つつみは)

「堤派」とは、三代目堤等琳(つつみとうりん)が中心の町絵師流派。
主に絵のぼり、絵馬、建築装飾など民間の絵の需要に幅広く応じました。
等琳自身が描いた絵のぼりは、現存するのか不明。

等琳には葛飾北斎が弟子入りし、一時同居していたとか。
また等琳の弟子と北斎の娘お栄は、結婚しています。
北斎は「
朱鍾馗図幟(しゅしょうきずのぼり)(ボストン美術館蔵)」という有名な絵のぼりを制作していますが、堤派との交流が影響したのかもしれません。

源頼光(みなもとのよりみつ)坂田公時(さかたのきんとき)のお座敷用節句幟(せっくのぼり)

源頼光と坂田公時

ご紹介の絵のぼりは、その「堤派(つつみは)」に属していた人物の作。
酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治するため、源頼光(みなもとのよりみつ)率いる坂田公時(さかたのきんとき)が大江山に入った場面が描かれています。
*歌川国貞の浮世絵版画「歌川国貞/座敷幟(ざしきのぼり)」と共通点あり。
(坂田公時とは、金太郎が成長し武士になった姿。)
元々3本組のひとつで、ほか2本は鍾馗(しょうき)図と金太郎山姥図。

座敷幟(ざしきのぼり)」とは、江戸後期に定着した室内用の小型絵のぼりです。
内幟(うちのぼり)」ともいいます。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

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お子様の成長を見守る守護神として。取り扱いが簡単で若い方に好評です。
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