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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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義経の弓流しの由来|いわき絵のぼり吉田CONCEPT

義経弓流しの図近藤辰治作

修身斉家〜武士の精神を象徴する義経の弓流し


1.義経の弓流しの由来

義経の弓流しは、平安時代末期の源平合戦の中で有名な逸話のひとつです。 元暦2年(1185年)、源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏軍が平氏軍の本拠地であった讃岐の国屋島を攻め、屋島の戦いが勃発しました。
この戦いで、平氏軍は海上に追い込まれましたが、源氏軍が意外に少数であることが判明すると、平氏軍は船上から激しい矢戦を仕掛けてきました。 この際、源氏軍の那須与一(なすのよいち)が、平家船上の扇の的を見事に矢で打ち抜いたという逸話も有名です(扇の的)。

2.弓を失った義経

やがて激しい戦闘が続く中、義経は誤って自分の弓を海に流してしまいます。 しかし、義経は部下たちの制止を聞かず、敵兵の行き交う沖まで行って弓を拾い上げました。
帰還後、義経は「もっと強い弓ならいざ知らず、源氏の大将がこのような弱い弓を使っていることを平氏に知られては、末代までの恥となる。そのため命を顧みず拾いに行ったのだ。」と語り、部下たちは感銘を受けたそうです。

3.弓を拾う行為の意義

端午節句の絵のぼりでは、家族を大切にする気持ち(修身斉家(しゅうしんせいか))を育むことを願って描かれています。 本図で描かれるのは、弓を拾おうとする源義経と、部下の弁慶です。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇


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