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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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秀吉と清正図の由来CONCEPT

秀吉と清正図室内用いわき絵のぼり辰昇作

秀吉と清正図の由来〜立身出世祈願

1.豊臣秀吉の出生と愛称

豊臣秀吉(1536-1598)は低い身分からの出身といわれ、はじめ木下籐吉郎と名乗っていました。 織田信長の家臣として、「猿」の愛称で親しまれたといわれています。

2.信長の死後と秀吉の台頭

天正10年(1582年)、本能寺の変によって明智光秀によって信長が討たれた後、秀吉は山崎の戦いで光秀を討ち、信長の後継者となりました。 翌年の天正11年(1583年)、本願寺の跡地に大阪城を築き、天正14年(1586年)には太政大臣となり政権を確立しました。 そして天正18年(1590年)には北条氏、伊達氏らを制し、天下統一を果たしました。

3.出世の象徴としての秀吉

貧しい身分から天下統一を果たした秀吉は、出世の象徴として最も人気の高い武将です。

4.秀吉の家臣・加藤清正

秀吉の家臣で、秀吉とは親戚の間柄である加藤清正(1562-1611)も勇猛な武将でした。彼は、賎ヶ岳(しずがたけ)の合戦では「賎ヶ岳の七本槍」とされる活躍をし、朝鮮半島では虎退治などの勇猛な逸話も残しています。

5.絵画で親しまれた武将の描写

出世の秀吉と勇壮な清正は、ともに広く庶民に親しまれ、武者のぼりや浮世絵などに多く描かれています。 絵のぼりでは上にいるのが秀吉、下にいるのが清正です。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇

→Wikipedia豊臣秀吉のページを見る
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秀吉と清正図の他、以下に各図柄由来もご紹介

以下、いわき絵のぼり図柄の由来一覧です。
古人が様々な物語に託した男児成長祈願。
クリックで解説ページへ。

06. 大黒

説話、神話

13. 高砂

武者絵

動物

20. 龍虎

25. 若駒

26. 鶴亀

27.

28.

▽絵のぼりのページもご覧ください

-武者絵のぼりとは?画像で見る歴史

いわき絵のぼり吉田、室内用手描き武者のぼりのページへ
江戸時代に、北斎をはじめ多くの絵師が描いた「絵のぼり」をご存じですか?

-江戸期の絵のぼり収集記

いわき絵のぼり吉田、屋外用手描き武者のぼりのページへ
150年以上眠っていた、全国各地の節句の武者絵のぼりを紹介。

-屋外用いわき絵のぼりを見る

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[伝統的な庭飾り]
端午節句の空を彩る勇壮な絵のぼりは、人生の門出にふさわしい旗印です。

-室内用いわき絵のぼりを見る

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[格調高く身近な室内用]
お子様の成長を見守る守護神として。取り扱いが簡単で若い方に好評です。
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