本文へスキップ

手描き武者のぼり(節句の五月幟)制作 いわき絵のぼり吉田 武者絵.com

お問合せ、ご注文方法

〒971-8182 いわき市泉町滝尻字根ノ町73

  1. ホーム>
  2. 制作者について>
  3. 江戸期の絵のぼり収集記

江戸期の絵のぼり収集記CONTACT US

辰昇コレクション~江戸時代の五月幟(節句幟、武者絵のぼり)

あまり知られていない江戸期の絵のぼり(節句(のぼり)/五月(のぼり)/武者のぼり/矢旗(やばた))。
その「祈りの大型民衆絵画」再評価のため、辰昇(しんしょう)の収集品をご紹介します。

古作の絵のぼり一覧
随時更新 / すべて非売品

16.朱鍾馗図(しゅしょうきず)座敷幟(ざしきのぼり) 狩野永信(ながのぶ) 非売品

朱鍾馗図座敷幟 狩野玉円永信 疱瘡絵01
朱鍾馗図座敷幟(しゅしょうきずざしきのぼり)(手描き)狩野永信(ながのぶ)
江戸後期。
約104×約42cm。縮緬製。
*現在は幟旗から掛軸に改装済。
絵のぼり吉田蔵

元は室内用小型絵のぼり、後世に軸装

朱鍾馗図座敷幟 狩野玉円永信 疱瘡絵02

【コントラストを上げた画像】
上部と右側にのぼり旗の輪、左下に三角形の補強布の痕跡。

朱鍾馗図座敷幟 狩野玉円永信 疱瘡絵03

肉眼でも輪の痕跡がわかります。

江戸後期に縮緬(ちりめん)へ描かれた、室内用の小型絵のぼり(座敷(のぼり))です。
上部と右側に輪を外した日焼け跡があることから、制作当時は幟旗(のぼりばた)だったことが分かります。
また左下にも、三角形の補強布の痕跡あり。
後世の人が掛軸に仕立て直したようで、このような例は珍しくありません。

狩野派表絵師、狩野玉円永信

朱鍾馗図座敷幟 狩野玉円永信 疱瘡絵04
朱鍾馗図座敷幟 狩野玉円永信 疱瘡絵05
作者は狩野玉円永信(ぎょくえんながのぶ)(文化13年-明治13年/1816-1880)。
表絵師をつとめる御徒士町(おかちまち)狩野家七代目当主とのことです。
「表絵師」とは、江戸幕府御用絵師である「奥絵師」を補佐する役目の職位。
本作もおそらく武家の端午節句用に制作された品でしょう。
この朱一色の鍾馗(しょうき)様は、当時流行をみせた疱瘡(ほうそう)(天然痘)除けとして盛んに描かれた画題で、当時の社会情勢が垣間みえます。

参考:浮世絵に描かれた座敷幟(ざしきのぼり)

喜多川歌麿 端午節句図 疱瘡絵 鍾馗 幟絵

引用:喜多川歌麿「端午節句」1803年。

上記は喜多川歌麿の浮世絵で、端午節句を描いた作品。
お座敷に朱色の鍾馗図幟が飾られています。
狩野永信による本作も、きっとこの浮世絵と同じように飾られていたことと思います。

2018.1.1 いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

<<前の記事へ

あとがき

祈りの大型民衆絵画

幕末の端午節句
幕末の端午節句図。アシェット社銅版画。
絵のぼり吉田蔵

絵のぼり(節句のぼり)は大名から庶民まで親しまれてきたため、世に残った作品は雑多です。
その本質は絵馬とおなじように、祈りの民衆絵画。
絵のぼりがユニークな点は、数百年間の作品全てが「男児成長祈願」のテーマで制作され、時代の空気を反映していること。

江戸期絵のぼりは、今後の調査に期待

古い絵のぼりは在野に埋もれ、近年まで研究されませんでした。
しばらく収集を続けていると、絵馬とおなじく大勢の絵師が手がけていたことが分かります。
浮世絵師などによる肉筆画が、それと知られず現在も埋もれているため、今後の調査には期待が高まります。

さらにご興味ある方は、収集家北村勝史(よしちか)氏の著作をご参照ください。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

 手描き武者のぼり制作、いわき絵のぼり吉田のHomeへ

HOMEへ戻る | 手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田

関連ページ
  1. ホーム>
  2. 制作者について>
  3. 江戸期の絵のぼり収集記

バナースペース