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手描き武者のぼり(節句の五月幟)制作 いわき絵のぼり吉田 武者絵.com

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いわき市の伝統工芸品、いわき絵のぼり歴史と特徴

いわき絵のぼり
目次

江戸時代から息づいた端午節句の伝統工芸

昭和後期、いわき絵のぼりが飾られた様子

端午の節句といえば鯉のぼり。
しかしひと昔前まで、武家発祥の
「武者絵のぼり(五月(のぼり))」が全国的に主流でした。

福島県いわき市では、手描き武者絵のぼり文化が伝統工芸として継続。
いわき市内で一定の手法により制作された絵のぼりを「いわき絵のぼり」とし、平成9年福島県指定伝統的工芸品に。
「江戸文化が地方で残存した希少例」と再評価されつつあります。
肉筆の絵のぼりは染物と一味違い、絵師個人の息遣いと力量がダイレクトに反映される、江戸絵師文化そのものです。

*武者絵のぼりとは、端午節句に男児成長祈願の絵を描いた幟旗(のぼりばた)
地域と時代で、呼び名は様々。
例)武者のぼり、節句のぼり、矢旗、五月幟。

藩主、内藤義概(よしむね)による推奨

いわき絵のぼりと内藤義概について解説された本

江戸〜明治時代は全国的に絵のぼりが飾られましたが、この地域で早い時期から文化の後押しをしたのは、磐城平藩主(いわきたいらはんしゅ)内藤義概(ないとうよしむね)(1619-1685)です。
八橋検校(やつはしけんぎょう)を召し抱え、狩野常信(かのうつねのぶ)とも交流した風流人でした。

“端午節句に絵のぼりで町を華やかにいろどるよう”御触れを発布(1683/天和3年7月19日)。
藩主が絵のぼりを推奨したという全国的にも珍しい例で、地域に多くの絵師が育ちました。
参考:磐城の幟の歴史と現況 佐藤孝徳著

明治から戦前の飾り方

いわき絵のぼり白黒写真

※イメージ画像

明治〜大正期は数の多さを誇り、数十本の絵のぼりをたてる家があったそうです。
大正〜昭和初期には大型サイズが流行。
戦時下には物資不足のため、布団の生地などに再利用されました。

戦後〜いわき絵のぼりという呼称の定着

宇佐美しずえTV出演

かつていわき市内では、絵のぼりを「小旗(こばた)」と呼んでいました。
昭和30年代、TV番組をきっかけに「いわき絵のぼり」の呼称に。
いわき市を代表する伝統工芸品として、現在まで親しまれるようになりました。

その経緯は以下のページへ。
初代辰治、先代しずえについて

特徴

いわき絵のぼりの特徴

左:明治のいわき絵のぼり(絵画的)。
右:明治の染料染め絵のぼり(デザイン的)。

いわき絵のぼりは昔ながらの手法による伝統工芸品です。
その特徴は、
・手描き顔料染め
浮世絵的色彩

「手描き顔料染め」とは、顔料という粉状絵具を呉汁(ごじる)(大豆の汁)で溶く手法。
絵画的仕上がりで、特徴は「鮮やかな発色で色あせに強い」「雨が苦手」。

いっぽう「染料染め絵のぼり」は、輪郭線が白くデザイン的仕上がり。
特徴は「雨に強い」「色あせしやすい」。

いわき絵のぼりの画風

制作中の若かりし宇佐美しずえ

いわき絵のぼりの画風は、江戸時代に狩野派風から浮世絵風へと変化。
明治中期には画家による指導もあり切磋琢磨。
歴史画の大家小堀鞆音(こぼりともと)が、いわき絵のぼりの出来栄えに驚いたそうです。

私の曽祖父辰治(たつじ)は、線描が狩野派的。
祖母しずえは浮世絵ベースの民画。
私の画風は曽祖父寄りです。

曽祖父辰治の鍾馗

曽祖父辰治の鍾馗

祖母しずえの鍾馗

祖母しずえの鍾馗

辰昇の鍾馗

辰昇の鍾馗

手描き武者のぼり「いわき絵のぼり吉田」

手描き武者のぼり「いわき絵のぼり吉田」。
福島県指定伝統的工芸品。
絵師による肉筆絵のぼりの世界をご覧下さい。

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