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手描き武者のぼり(節句の五月幟)制作 いわき絵のぼり吉田 武者絵.com

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八幡太郎義家勿来の関の由来CONCEPT

八幡太郎義家とは?文武両道で育むための願いを節句幟に描く

八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)(1039-1106)は通称の呼び名で、本名は源義家(みなもとのよしいえ)といいます。
鎮守府将軍、源頼義の長男として平安時代に生まれました。

義家は、父とともに前九年の役で戦い、1051年に陸奥の豪族安部貞任(あべのさだとう)らを討ち、その功により従五位下出羽守に任命されました。

1083年、陸奥守兼鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になった義家は奥州清原氏の家督相続争いを治めるために介入し(後三年の役(ごさんねんのえき))、これを平定しました。
ただし、この戦いは私闘とみなされ、義家は朝廷から功賞を得られませんでした。
そこで私財を投じて部下たちをねぎらったと言われています。

奥州に向かう際、勿来の関(現 福島県いわき市)で義家が詠んだ歌
吹く風を 勿来の関と 思へども
道もせに散る 山桜かな

は、千載集にも載っている有名な和歌です。

八幡太郎義家は文武両道でたくましい子供に育ってほしいとの願いを込めて節句幟に描かれてきました。
いわき絵のぼりの八幡太郎は、この勿来の関を通過する際に歌を詠んだ場面が描かれています。

いわき絵のぼり吉田

 八幡太郎義家勿来の関の由来
八幡太郎勿来の関 辰昇画
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八幡太郎勿来の関の他、以下に各図柄由来もご紹介

以下、いわき絵のぼり図柄の由来一覧です。
古人が様々な物語に託した男児成長祈願。
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神仏

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説話、神話

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動物

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絵のぼりって?分かり易く解説

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